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イエスの娘サアラ今回は、7月4日の記事、『サアラさんが語るイエス』の続編です。 前回はイエス・キリストの生涯に焦点を当てましたが、今回はその娘(サアラ)に焦点を当てます。 まず最初は、サアラさんがイエスの娘として生きた人生を思い出したきっかけです。この話を私はJSPスクールに通っていたとき、サアラさんから聞いたことがありました。 それがサアラさんの著作の中に出てきたので、その部分を抜粋して紹介させていただきます。 『宇宙人の羨望の的となる地球人になる』(サアラ著、大和出版)から抜粋します。 ・・・<『宇宙人の羨望の的となる地球人になる』、p134〜p138から抜粋開始>・・・ 人生に必要な二つの車輪 私は今回の人生で不思議な経験をしました。それは、私が35歳くらいのときでした。もう夕方だというのに、突然、浅草の浅草寺に行かなければならないという衝動に突き動かされて、車を運転して浅草に向かいました。浅草寺に着く頃には、もう5時近くなっていて、すでに門は半分閉まっていました。そのおかげで、他に誰もいない浅草寺で静かにお参りさせていただきました。 本堂の前で手を合わせていると、突然男性に後ろから抱擁されました。一瞬驚きましたが、すぐにそれはイエスだとわかりました。 彼は私に言いました。「これからあなたの人生は、非常に過酷になるだろう。しかし、必ずあなたは立派に目的を果たすことができるから、心配しないように」「私は常にあなたと共にいる」 そのとき私は、なぜか理由もなく、私は私自身に深い敬愛の念を抱いているような、自分のスピリットに対する深い信仰心を取り戻したような不思議な感覚を覚えて、涙が止まりませんでした。 その頃の私は、まだ自分の魂にイエスの娘の Saarahat としての記憶が刻まれているという認識ができずにいました。しかし、後で振り返ると、そのときはすっかり忘却の彼方でしたが、2歳の頃まではそれを知っていたのです。それなのに、社会に自分を適応させようとすると、大事なことをずいぶん忘れてきたことがわかります。 これは、私ばかりではないはずです。皆さんも幼少期には、まだ魂の記憶を認識できていたかもしれません。しかし、これまでの社会では、霊的なことをタブー視されていたので、そのような記憶を否定し、何の役にも立たないどころか、自分の人生の邪魔になるとさえ思ったのではないでしょうか。 私自身もそういう部分が少なからずあったから、幼少期のクリアな記憶がだいぶ薄れていると感じます。そして、その記憶をたどるための旅を、それからずっと歩んできたように思います。 人間として生きる人生には、二つの車輪が必要です。一つは、現実的な行動を起こして、経験し、学び、人と関わって、新しい可能性に挑戦する車輪です。もう一つは、その活動や経験を霊的視点で見て、過去からもち越してきた課題と照らし合わせて、自己探求を行う霊的で精神的な思索の車輪です。 この二つの車輪のバランスが悪ければ、人生は前に進むことができずに停滞し、同じことを繰り返すようになります。 イエスの娘としての記憶がよみがえった! 話を元に戻しましょう。 私は、14歳のとき、自分がマスターたちに Saarahat と呼ばれていることを知りました。ある晩の入浴中、シャワーの音でよく聞こえない中、何度も「Saarahat」と呼ぶ声が聞こえました。はじめは自分のこととは思わずに、無視していましたが、声はだんだん大きくなり、すぐそばで呼ばれているような気がして私がシャワーを止めると、「ダビデの血を引くソロモンの子 Saarahat よ」と、声の主が言います。「私のことですか?」と聞くと、「そうだ」と答えただけで消えていきました。 それから、3日間毎日「Saarahat」と呼ぶ声が聞こえましたが、4日目以降は一切聞くことがなくなり、それ以降2002年まで声の主は現れませんでした。 2002年、私の最初の結婚がピリオドを打ち、新しい生活に入った年でした。そのとき初めて声の主がキング・ソロモンだとわかりました。 そして、2012年のことです。またもや入浴中に、突然ソロモンが現れ、「あなたはいい加減に父親を許したらどうか」と言われました。私は当然、今回の人生での父親のことだと思い、恨んでも憎んでもいないのになぜだろうと思った瞬間に、自分がイエスの娘だったときの記憶がすべてよみがえったのです。 それは、突然ワープするように、数倍速で当時の人生を追体験するような感覚でした。 確かに、私は父に対して怒りをもっていました。何をしても認めてもくれず、優しい言葉をかけられることはなく、いつも厳しい表情で私をちらっと見た後は、顔を背けられてきたこともすべて思い出し、腹が立ち、深く傷ついている自分に気づきました。 それから、私が父と同じ視座を獲得するための道が始まり、同時にJSPスクールがスタートしました。 今では、父に対して感謝しかありません。彼は私の霊的側面に対して、常に尊敬と敬愛の念を抱き、人間としての私を愛情深く見守り、信頼してくれていたことを理解できるようになったからです。 そして、私は私のテーマを探求するために必要な経験として、父との関係があったのだということも理解しています。 ・・・<抜粋終了>・・・ こうしてイエスの娘としての人生を歩んだことを思い出したサアラさんですが、その視点はイエスを父として捉えたものでした。 では、イエスがゴルゴダの丘に連れていかれる当日、イエスの娘が見た光景をサアラさんに語っていただきましょう。 『空なる叡智へ』(サアラ著、ヒカルランド)から抜粋して紹介します。 ・・・<『空なる叡智へ』、p174〜p178から抜粋開始>・・・ イエスが罪人として捕らえられた日 さて、ここから先は私自身の魂の記憶を中心にお話しします。 私たち家族は常に何かに追われ、常に命を狙われていました。幼かった私にもそれは十分に感じることができました。それでも父も母も結構楽天的で陽気に過ごしていました。 私たち家族が他の家族と著しく異なることは、ときどき前触れもなくすべてを捨てて旅に出ることです。両親は「旅に出る」という言い方をしましたが、私は明らかに目に見えない何かに追われている気がしました。頻繁に悪霊の放つ悪臭がしたり、怖い夢ばかりを見るようになると、決まって両親が「旅に出よう」と言うのです。 今考えるとこの言葉は、エンリルに操られた魔物の呪誼から逃れる時の合言葉でした。 父が罪人として捕らえられた日のことは今でも鮮明に覚えています。私は「来るべき時が来た」と思った時、すべてが終わってしまうような恐怖で凍りつく思いがしました。 その時母は、朝の湯を沸かすために、台所でまだ赤ん坊の弟を抱いたまま立っていました。いつになく父は寝坊をしていたのか、いつまでも部屋から出てきませんでした。私は食堂のテーブルの前の椅子に座り、大好きな歌を一人で歌っていました。 すると母が飛んできて「静かに」と言いました。母の顔は緊張でこわばっていました。父が静かに部屋から出てくると、突然外から大きな体の男が何人か家に入り込み、無遠慮な感じで父を捕らえていきます。母は大きな黒いパンの塊を私に渡して「これを食べていなさい」と言い。弟を抱いたまま父についていきました。 それからどれくらい時間が過ぎたでしょうか、私は黒くて重いパンの塊を見つめたまま岩のように固まって、朝歌っていた歌を小さな震える声で何度も何度も繰り返し歌い続けていました。 日が傾き、窓越しに入ってきた夕日がパンを掴んだ両手に当たって、「暖かい」と感じた時に、初めて我が身に起きた恐ろしい事態を受け止めることができたような気がします。私の頬を伝う涙がいつまでもいつまでも止まることなく流れ続けました。 この時の私の記憶はそこまでで途切れています。 実は、私は父が捕らえられた日、泣き疲れて眠ってしまってからの記憶を失っていました。自分ではまるでずっと眠っていたような感じでしたが、2014年に入ってようやくすべてを思い出す機会が与えられました。内容は極めて個人的なことなのでここでは割愛しておきますが、その時のイエスやマグダラのマリアに起きた真実についてだけお話ししましょう。 父は大きな布に包まれて家に帰ってきました。父は十字架から下ろされて、その肉体を母や祖母に返されたのです。 当然父はその時死んでいたはずですが、私は生きていると思ったのです。私が父の肉体に近づくことは、母もそれ以外の大人たちも許しませんでした。 イエスは3日後に自分の肉体に戻りましたが、あの日、父が捕らえられて出て行った日以来、私は弟と一度も会ったことがありません。見かけたことすらありません。父も母も弟に関することは何も言わないので、何か事情があるのだと悟り聞かずにいました。後で知ったことですが、弟は義理の祖父であるヨゼフを通して遠方に養子に出されました。 その後、父は肉体的な回復を待って再び単独で旅に出ました。次にいつ会えるかもわからない別れでした。私は母マグダラのマリアと聖母マリアとその妹や親せきたち、そしてイエスの弟子の何人かと一緒に、船でフランスに渡りヨーロッパを転々とします。 しばらくの間イエスは時々私たちのもとに姿をあらわしていましたが、その後は全く会えなくなりました。 しかし、マグダラのマリアが亡くなる時には、彼女が肉体を離れて天高く消えていくまで、ずっとそばにいてくれました。それは娘サアラにとってあの生涯で最も幸せな時間でした。 イエスはその後もずっとヒマラヤの険しい山の奥で生き続けています。 彼自身が言いました。「私は今でも肉体を朽ちさせることなく生きている」と。 ・・・<抜粋終了>・・・ イエスは磔の刑に処せられて、肉体の死を迎えたと判断され、その肉体は家族の元に返されたようです。そして3日後にイエスの魂は肉体に戻り、蘇生したようです。 ネットによると、以下の記述が出てきました。 イエス・キリストは金曜日の午後(安息日前)に十字架上で亡くなり、墓に葬られました。そして、週の初めである日曜日の早朝に墓が空になり、復活したとされています。 このように、いったんは墓に埋葬されて復活したというのが一般的な理解のようですが、実際は違ったようです。 そして、サアラさんはイエスは今でも生きていると、JSPスクールでも言っていました。霊界の全面的なバックアップとETの高度なテクノロジーがあれば、2千年くらい生きることは全然可能だということでしょう。 DNAの2重螺旋を、3重→4重→・・・12重螺旋と変えていけば、ヒューマノイド型でも寿命は千年近くに延びるという話を聞いたこともあります。人類を造ったというアヌンナキの平均寿命は、30万年〜40万年ともいいます。 そういえば、カナダ人コンタクティーのオスカー・マゴッチ氏は、その功績をET達に認められ、寿命を800歳まで延ばせるという提案を受けたといいます(オスカー・マゴッチ氏はその提案を断って、通常の人間の寿命で死を迎えます)。 寿命を延ばすというのは、現代に生きる私たちにとっても遠い話ではないかもしれません。 今はまだ無理ですが、大峠を生き抜いた人々にはメドベッドが待っているかもしれません。1回の施術で30年寿命が延びて、3回まで可能だといいます。だとすると今の日本人は、90歳前後の寿命が180歳ぐらいまで延ばせることになります。 話が脱線しました(この寿命の話はエンタメと捉えて下さい)。 サアラさんの話に戻します。 次は、イエスの娘サアラの生涯です。 サアラは王家に生まれた宿命を生きることになります。 再び、『宇宙人の羨望の的となる地球人になる』(サアラ著、大和出版)から抜粋します。 ・・・<『宇宙人の羨望の的となる地球人になる』、p113〜p120から抜粋開始>・・・ イエスの娘としての責任 私は、王家に生まれ、神に仕える運命となったことが二度ありました。そして、いつもそうなることなく人生を終わらなければなりませんでした。 しかも、自分が好んだ男性と結ばれることもなく、クーデターが起きて国を追われたり、生き延びるため、国の再建のために、有益な相手と結婚しました。それでも自国が再建されることはなく、何一つ自分の望みが叶わないうえに、現実的な目的も達成できない人生を経験しました。 中でも一番つらかったのは、イエスの娘として生まれたときのことでした。イスラエル王家の女性末子として、私は家督を継ぐはずでしたが、ローマからの弾圧を受けて国は崩壊し、多くの国民がエジプトに奴隷として連れ去られてしまいました。 そのような状況下にあって、両親は私の命を守るために、娘としてではなく、エジプトから連れてこられた奴隷として育てました。極めて親しい身内や家臣しか、私が彼らの娘であることを知りませんでした。 幸い私は肌の色がかなり浅黒く、両親とは似ていなかったので、誰も疑う人はいませんでした。しかし、幼い私にとっては、非常に混乱が多く、何が真実だかわからなくなることが多くありました。 それでも、私は王家の跡継ぎとしての責任を負うように教育されていました。両親がまさに後継ぎとしての生き方を選択したように、私の目には映っていましたから、それが当たり前だと認識していたのでしょう。私自身がそのような生き方に抵抗することはありませんでした。 もちろん、この当時のイスラエルは、今のイスラエルとはまったく違う国でした。 私が犠牲にならなければ…… 国が大きく分裂して滅亡した後、私は、王家の家督を継いだ母と共に南仏へと移り、そこで国を再建する予定でした。しかし、国民の大半がエジプトに連れていかれてしまったので、彼らを救済して連れ戻す必要がありました。 一方、父は礫刑から逃れた後、北インドに逃れていました。私は国家の大半の財産を託されて一度北インドまで行き、父と合流しました。その後、その財産をもって、数人のお供を連れて、奴隷解放の交渉を行うためにエジプトに行きました。そのときは、私はもう守られた奴隷ではなく、王家の一員としての責任を負うべき立場にありました。 当時でも、大金をもって山をいくつも越えることは非常に無謀なことでした。そこにはさまざまなものに飢えた山賊がいるからです。それでも行きは人数も少ないので、目立つこともなく、襲われることなく道を進むことができました。 しかし、帰りはおよそ三千人もの人たちを引き連れて山々を越え、河を渡って進まなければなりませんから何度も山賊たちに襲われます。 そのたびに私は、全員を無事に連れ帰るという自分の責任を問われる出来事に直面しました。 山賊たちは、元から「賊」だったわけではありません。たいがいは何かの戦いに敗れて、相手方の傘下に吸収されることを拒んだ落ち武者のような人たちです。そのためか、非常に傲慢で威圧的な部分をもっていますが、中には自分の誇りを維持していて、弱い者に手を出すようなことをしない人もいます。 それでも彼らの多くは、当然ですが財にも、食料にも、労働にも、性にも、人の優しさや温かさにも、長い間飢えているので、理性を失っている場合が多いのです。 そんな山賊に出会うと、私は他の若い女性を守るために自分を差し出さずにはいられない状況に陥ります。もし私が犠牲にならなければ、10代前半の女の子たちを連れ去られてしまうことは、経験を通して知っていました。 私はすでに17歳〜18歳くらいでしたから、当時としては立派な大人とみなされます。 その私が子供たちを守るために自分の身を差し出すとき、本心は、とてつもない恐怖と不安でいっぱいでしたが、そのような顔色は一切見せることなく、山賊たちに囲まれて深い森の中の彼らのアジトに一人で連行されます。 必ず生きて帰ると、仲間にも、私自身にも強く約束しました。 彼らをよく観察すると、人の温かさに飢えているのがすぐにわかりました。そこで私は、無理やり自分の恐怖をふさぎ、彼らにできるだけ寄り添うように配慮して、労働を請け負うと、しばし彼らがおとなしくなることがありました。しかし、それは長くは続きません。今思えば、かえって彼らの誇りを傷つけるようなことになったのでしょう。 最後は暴行を加えられ、性的な搾取をされます。それでも大きな怪我をせずに自分の仲間と合流することができれば、よしとしなければならないことは、頭ではわかっていても、心は深く傷つき、精神的にもギリギリ何とか保っている状態です。そのため、仲間と合流しても私は終始不機嫌になって仲間たちに当たるような態度をとることもありました。 なぜ父は私を認めてくれないのか? このようなことが繰り返されても、私は気がおかしくなることもなく、歩き続けられたのは、「責任」という支えがあったからではないかと考えます。 しかし、最後に襲われたとき、私は今までにない激しい暴行を受け、とうとう大きな怪我を負って、本来なら歩行不可能な状態になりました。それでも何とか逃げ出し、仲間と合流したもののショックでしばらく口を利くこともできなくなりました。 そのとき、仲間だと思っていたのは私だけだと気づく出来事が起きたのです。 私は王族ですから、あらゆることに責任を負う立場で、彼らは国民として守られてしかるべき立場だと、彼らは思っていたのです。ここでも「支配と隷属」あるいは、「管理と非管理」という二元性の対立が現れます。 彼らは相当に不安を抱えていたのでしょう。そのうえ彼らのもとに戻った私の怪我と憔悴した様子を見て、彼らの恐怖と不安がピークに達したのです。 この先彼らは自分が属すべき国もなく、守るべき領土もないのですから、いったい自分たちはどこに連れていかれて、何を糧に生きればよいのか、絶望的になっていたことは、今思えば当然です。 そのような境遇の自分たちを放置して、なんで責任を負うべき立場のあなたが、そんな使いものにならない状態になるのだ! この先は、いったい誰が責任をとってくれるのか! という彼らの激しい怒りを私は買い、暴力をふるおうとする者もいました。 このとき、私の心は地の底に転落した思いでした。それでもまだ私を支えていたのは、「責任」と、たった一つの希望を捨てることができなかったからです。それは、この困難を乗り越えれば、父に認めてもらえるかもしれないというささやかな希望です。 もちろん、彼ら国民に対して、そんな申し訳ないことは、口に出すことはできませんでした。 奴隷として育てられた私は、自分の父親であるにもかかわらず、優しく抱擁されることは叶わず、手をつなぐことさえ許されずに育ちました。そのために父親の愛情を渇望していました。 しかし、何とか父のいるインドに帰り着いても、父は、帰還した国民に対しては大いに喜び、歓迎しましたが、私に一瞥(いちべつ)もくれることなく、何のねぎらいの言葉も与えてはくれませんでした。私をこれまで支えてきた希望はこれで終わりました。 その後は、憔悴しきってしばらく起き上がることもできませんでした。 なぜ父は私を認めてくれないのか、なぜ私を愛してはくれないのかと、自分を呪い、自分を蔑みました。父を恨むのではなく、私は私自身を無価値だと認識し、私を憎んでいました。 今考えれば、私がこのような自己犠牲を払うことを父が望むわけはないことは十分に理解できます。父は一人の人間の父親として、深い悲しみと憂いを抱きつつ、私が再び立ち上がることを知っていたのです。 確かに、もともとの私の性質は、楽天的で根性があり、何度倒れても起き上がるような強さをもっています。それは今でも変わりません。その私は、次に生き別れとなった弟に、希望をすり替えてしまったのです。 実際、多くの国民は、私が弟と共に国家再建を実現してくれると信じていました。その期待に応えることを、私は次の「責任」として、また、私の希望として掲げて立ち上がりました。 そのために、これまで経験してきた、深い悲しみも、孤独も、疎外感も、失望も、恐怖も、何もかも封印してしまいました。そして、皆の前では、何も傷ついていないようにふるまいました。そうすることが、自分の誇りを維持する唯一の方法だったからです。 ・・・<抜粋終了>・・・ 冒頭の引用文で、キング・ソロモンがサアラさんに「あなたはいい加減に父親を許したらどうか」と言った意味がここでわかります。 父(イエス)に対する複雑な娘(サアラ)の思いがあったようです。 娘(サアラ)は、生きているという噂の弟に希望を託します。 ・・・<『宇宙人の羨望の的となる地球人になる』、p121〜p123から抜粋開始>・・・ 新たな希望もこうして潰えた 私は、新たな希望を掲げてインドから再び南仏、今でいうラングドック地方を目指しました。弟は北フランスにいるらしいという情報が入ってきたからです。南仏では母と共にいた人たちが私を迎えてくれましたが、母はすでに他界していました。 そして、とうとう念願叶って弟が私に会いにくることになったのです。私は、本当にこのときを待っていました。これですべてが救われると思い込んでいました。 しかし、社会的情勢は非常に厳しい状態で、もう国のお金はとっくに底をついていたし、あちこちで私たちを侮蔑し、反感から攻撃的になる動きが大きくなっていました。 そんな中での弟との再会でした。彼は私が知らないところで、とてつもなく過酷な人生を生きていました。生まれて数時間で里子に出され、里親が早くに亡くなってしまったので、次々と頼る相手が変わり、とうとう今のパリに当たるところに行きついて、貴族の家に買われました。 当時のヨーロッパ貴族たちは、音楽や詩を好み、その才能がある者を売り買いしていたようです。 彼は、幸い詩を作る才能に恵まれていたために、かなり裕福な貴族に買われました。しかし、その家の女主人の怒りを買ったために、ひどい虐待を受け、さらに重い感染症にかかり、危うく命を落とすところだったようです。結果的に両目の視力は失ったものの、何とか命拾いしました。 その彼が、病に伏してからずっとそばに付き添って面倒を見てくれた、貴族の家に雇われていた若い女中さんに付き添われて、車いすで私のもとに来てくれました。 以前、私との間に信頼関係を構築することができなくなるように、嘘を吹聴するために雇われた女性がいました。弟はその女性にはシンパシーを感じるところがあったようで、完全に彼女を信頼していました。 しかし、その女性は、弟が死にかけると、もう用は終わったと思ったのかどこかへ消えてしまいました。 その後は、この若くて気立てのよい女中さんにずっと面倒を見てもらっていたにもかかわらず、彼女にはまったく心を閉ざしたままでした。 そんな弟は、私の手を握ると、一言「これは姉ではない」と言い放ち、それ以上一言も口を利くこともなく去っていこうとしました。 私のすべてが終わった瞬間でした。 それでも私は母が残してくれた少ない遺産をその女中さんに渡して、去っていく弟の姿を最後まで見送りました。 弟と私は、イスラエルが再建することを恐れる人たちによって、互いに嘘を吹き込まれていました。当時は、通信機器がありませんから、遠く離れた姉弟の状況を互いに知る方法がありませんでした。そのため、風の噂を信じるしかなかったのです。 そして、まんまと策略に飲まれました。弟は、私が両親に可愛がられて、何一つ苦労することなく、女王として贅沢な暮らしをしていると聞かされていたのです。そして長い間弟は私に嫉妬していました。恨んでもいたでしょう。 だから、私のごつごつした手を握ったときに、姉であればそんなはずはないと思ったのでしょう。 ・・・<抜粋終了>・・・ こうして最後の希望を失ったサアラは息を引き取ります。 ・・・<『宇宙人の羨望の的となる地球人になる』、p124〜p127から抜粋開始>・・・ 誰も私の自己犠牲を望んでいない 私は、そうなることを、内心わかっていたような気がします。それでもあきらめられなかったのは、生きるためだったかもしれません。しかし、最後の希望が消えた後、私も息を引き取っています。 私が「責任」に執着したのは、国民を大切に思う気持ちからでも、国家再建の価値がわかっていたからでもないと気づきました。だから、私がどんなに自分を犠牲にして、彼らを守っても、彼らはそれを望んでいないということを、態度でも言葉でも私に示したのでしょう。 その態度がとてもつらかったのは確かです。誰も望んでいないことのために、私は恐怖と戦い、強烈な痛みに耐えたのかと思うと、情けなくて悲しくて、本当に呆然としてしまいます。 ちなみに、これは夢の中の出来事ではありません。私の魂が地球上で経験した事実です。 ジプシーの守り神 St.Sarah 私がエジプトから連れ帰った人たちは、しばらくはインドに留まり、そこで生活していました。しかし、国籍もなく国土もない彼らは、その後インドを追われて、ロマとなります。「ロマ」という言葉は聞きなれない言葉でしょう。しかし「ジプシー」は皆さんにとって耳なじみのある言葉ですね。 今でもロマ民族は存在しています。彼らはどこに行っても迫害され、永遠に流浪し続ける民族となってしまいました。彼らの多くは、プロの泥棒や掏摸(スリ)として生きるしか道のない人たちです。私はこのことに深く心を痛めています。 ロマは、他の民族が使わない特殊な言語を使っています。それは、元の彼らの母国語であったヘブライ語と、長い間留まることができたインドの言語をミックスした独特の言語です。言語が変わると、人のマインドや精神は大きく変化しますから、もうあの頃の彼らとはずいぶん違っていることでしょう。 ロマ、つまりジプシーたちは、今でも毎年5月に、南仏のサント・マリー・ド・ラ・メールで巡礼祭を行っています。そこには世界中でたくましく生き続けているジプシーたちが集まり、それぞれあでやかな衣装を着けて、音楽やダンスに興じます。 中でもジプシーの守り神とされる St.Sarah(=Saarahat) を称えて、5月24日に行われるイベントが最大の盛り上がりを見せます。それは、黒いマリア像として親しまれている Sarah の像を教会から海へと運ぶ行列です。 この像が黒いのは、先述した通り、私の肌が黒かったからです。 また、今は St.Sarah Kali と表記されていますが、 Kali はインドの言葉で黒という意味です。名前の Sarah も、元はインドのパーリ語の Saarahat です。インドの言葉である理由は、先述した通り、彼らの言語の中にインドの言葉の要素が入っていることがあります。 私の名前に関しては、私の魂がシヴァ神とパールヴァティーの娘である Saarahat だということを、イエスもマリアも知っていたために、この名が付けられました。 そして、パールヴァティーはもともと色が黒く、シヴァにからかわれて傷ついていたところ、ブラフマンがその姿を憐れんで、黄金の肌を与えたと言われています。私は彼女の黒い肌の色を受け継いで生まれてきました。 そして、イエスの娘もそのパールヴァティーの娘 Saarahat の記憶と情報をもっていたので、肌の色が黒かったのです。 ・・・<抜粋終了>・・・ ![]() 『空なる叡智へ』p200から抜粋。 ジプシーの守護聖人であるセント・サラ (2026年7月18日) |
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